Story

新潟で生まれ育つ
1993.01.30に新潟県新潟市で生まれる。新潟市立五十嵐(いからし)小学校、五十嵐中学校ですくすく育つ。中学で完全にサブカル(ネット・ラノベ・アニメ・ゲーム)に目覚める。当時所属していた卓球部員全員をヲタクな世界に引き摺り込んだ張本人。
勉強よりもネットとゲームに身が入っていたので県で一番の高校へは行けずに新潟県立巻高校に入学。高校には中学で出会ったような面白い人があまりおらず苛立ちを覚える。中学の面白い友人がみんなハイレベルな高校に行きハイレベルな大学を目指していたので自分もいい大学に行き楽しいキャンパスライフを送ろう、と一念発起し高校一年から独学をスタート。現役で横浜国立大学と国際基督教大学(ICU)に合格。ICUの方が面白い人が多そうという理由でICUに上京進学。

大学時代
ICUでは、自分よりもはるかに優秀で面白い人間に囲まれ圧倒されながらも刺激に満ちた楽しい生活を送る。
高校時代に周りの生徒がやりたいことをできずにいるうちに無気力になっていくのをみた課題意識があった。そのため1年次は教育に関する書籍をよく読んでいたものの、既存の学校教育の枠組みや法律に期待してもダメだ、まずは自分がよくなって外からの立場で批判しようと判断。その後は興味に沿ってさまざまなメジャー(専攻科目)の授業をつまみ食いする生活をしていた。
科学技術社会論(STS = Science, Technology and Society)の自主サークルに所属して原発やIPS細胞と社会の関係、などを扱った学びを行う。途中、カラオケにどハマりしカラオケや音楽ゲームに関して卒論を書こうという茨の道に迷い込むも、最終的にはN次創作/マスコラボレーション/クリエイティブ・コモンズに関して英語で卒論を書いて無事に卒業。
卒論のタイトルは【Unique Licensing of Consumer Generated Media and its Utilization Form: Qualitative interview research on piapro / 消費者生成メディアの独自ライセンスと利用形態: ピアプロ利用者への質的インタビュー調査】。

ゆるい就職→フリーランス
大学3年次に「就活」の異様さに拒否反応を起こし気持ちが悪くなり『既存の枠組みにとらわれない働き方』系のイベントに顔を出すようになる。その中で株式会社ビースタイルが行う「ゆるい就職」に参加。
「週休4日、月収15万円」というキャッチコピーで若者の健全なモラトリアムの過ごし方を目指す、といったような内容で集まった、働き方に悩む若者(大学生, 専門学生, 会社員, フリーター/ニート, 起業家 ... etc.)のコミュニティが徐々に作られていった。その中で本音でディスカッションをするうち元気になり、いろんな大人に会いに行っては「若い労働力を持て余してます」と言って回ったことで起業家の方にちょこちょことバイトを紹介してもらう。
そんな中、生活費を抑えるために入ったシェアハウスの運営主がAirbnb(外国人向け民泊)をホスト(貸主)として営業しており、その運営代行の仕事を任される。英語メール/電話/清掃/クレーム対応を1年間こなす。

教育系スタートアップ
外国人民泊の雲行きが怪しくなり収入も下り坂だった頃、強く興味が惹かれる「教育」の分野で何かしたいという気持ちが高まる。
その旨を周りの人に言ってまわっていたことで知り合った人たちと共に始まった教育に関するスタートアップにjoin。教育(特に既存の学校教育の反省に基づく批判)をテーマにしたワークショップイベントを1年間で40回企画・運営。のべ参加者数は300人を超えるも、安定した売り上げが立たず自分の資金がなくなり疲弊。
「多様な生き方・学び方のできる社会」をミッションに活動するも自分自身が成り立たないのでは元も子もないと強く実感し生活のために離脱。

フリーランス→フリー??
資金が枯渇するギリギリのタイミングで調布に引っ越し。友人2名と一緒にファミリー物件(天気のいい日は南西方向に富士山が見える)でシェアハウスを始める。
「自分の望まないことはできる限り無くしていく」ことを標榜していただけに通勤はしないで済む生活を望んで調布周辺で生活費を得られる場所を探す。
コミュニティ運営に興味がありコワーキングスペースの運営にjoin。同時に調布の個人指導塾(大学受験)にも塾講師バイトとして雇用され、晴れて(?)「フリーランス」から「フリー(ター)」へのジョブチェンジを果たす。お金は全然ないけど、時間がたっぷりある状態に半ば満足したのか、のんびりとした生活をしばらく送る。
【As You Are】という屋号で起業しよう、ミッションは【誰もが自分らしくいられる世界をつくる。- We make the world you can be As You Are.】などと言いつつもなかなか形にならずに1年が過ぎる。しかし、同居人が1人減り家賃が急増。
仕事(バイト)を増やすも時間が減り、お金もない。友人が困っていても助けられないどころか、自分が困って助けてもらう立場では何にもならないと改めて自覚。結局、望まないことが増えてしまっていたのだ。これまで何か一つに絞り成果を上げることからとことん逃げてきたツケが回ってきたと反省。

情報技術に特化すると決意
同居人がエンジニアであったり、自分の思考がリベラルかつ合理主義的であったのもありプログラミングにようやく本格的に手をつける。
友人のつてで得たWeb制作の仕事を皮切りに学習と技術の上達に励む一方、話題のブロックチェーン技術や人工知能といった先端技術についても学ぶ。その中で改めて情報技術の可能性と世の中に与えられるインパクトの強さを実感する。
『プログラミングをすることで、1人ではできない仕事ができる。人がやりたくないことをどんどん減らして、やりたいこと楽しいことに集中できることができれば世界はもっと面白くなるし生きやすくなる。そうやって生活が実質的に楽になれば、もっと自由な生き方も選択できるようになるんじゃないか。そうやって人を助けることができたら素晴らしいのではないか。』
そうした思いから、プログラミングに注力することを決意。
現在は制作したいアプリが2つあり、調布のコワーキングスペースの運営・学習塾講師を兼業しながら制作進行中。